2021/06/04 人生の転機

久しぶりにびっくりした。

話は先週末から始まり、土曜日の昼下がりに末の子と昼寝から起きた時、喉に違和感を覚えた。

なんてことはない風邪の初期症状であったが、翌日に37℃の熱も出て、最近の風潮で少しの体調不良でも会社へ連絡するように言われていたため

日曜日にも関わらず上司へ微熱が出たことを連絡。

月曜日朝にも大事をとって休みませてください(サボるわ)の連絡をしたところ、熱が下がってから2日は出社するなとのこと。

月曜中に熱は下がり、結果的に水曜日まで家で仕事しながら子供と遊びながら過ごしていた。

 

んで、水曜日。

出社して現場で諸々作業していたら14時半ごろに上司から内線で連絡

「会議室に来れるか」

 

会議室への呼び出しはロクなことが起きないのは、今までの経験で分かっていたし、月曜から水曜までの実質的なサボりと言う心当たりもあった。

 

会議室へ入る、自分と上司の2人だけ。

嫌な予感しかしない。

 

「8月1日付の辞令で、タツタ(の苗字)は宮崎の〇〇の部署に異動になります」

 

 

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頭の中に浮かんだのは、宮崎県の青い海の写真を心置きなく撮れる、と言うことだった。

 

が、口を出た言葉は

「その話はお受けできません」

上司の言葉、組織の決定は絶対。封建主義の習わしに後ろ足で砂をかけて、唾を吐きかける言葉。

上司の『何言いやがるこいつ』と言う顔は忘れない。

僕は二の句を継ぐ。「10月末をもって退職を考えています。理由は(話しながらでっち上げた)父親の具合がよくなく、、はい、去年話しましたがんを患った父です。叔父の死もあり、家族の中の誰かが側にいてあげたく。兄たちはそれぞれの地に家も建てていますし、その点自分が動きやすいですし」

「こんなタイミングで退職する旨をお伝えすることになり、申し訳ありません」

 

と真面目に、伝えた。

 

仕事を辞めたい理由はいくらでもあったし、どれかが契機だったわけでもないし、どれもが契機だったとも思う。

 

 

そんなわけで今年の11月から人生で初めて無職になる。