5月18日 その日のレンズ

昨日は50mmについてつらつらと思うことを書いたのだけども、その中の一文に

「好きか嫌いかでいうと」とあやふやなことを書いていた。

大体のことは二元論で割り切るというか、まずはシンプルに割り切ってから物事を考える癖があるのですが、

そもそも嫌いなレンズって持ったこと無いな、とね、思い至ったわけです。

 

好きだけど使いこなせなかったレンズや、好きになれなかったレンズはあります

しかし、「嫌い」とまでエネルギーを消費されるレンズは無いかなーと。

持ってる人が嫌いで、そのレンズまで嫌いという「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」理論で嫌いになったレンズはある。

 

さて、そのレンズの好きなところについて、の前に悲しい話。

Twitterで仲の良いフォロワーさんがアカウントを削除されていた。辞めるというやつ。

夜中の2時にDMして、お気に入りのアーティストをオススメし合ったり、怖い話したり、と比較的深く交流してたつもりだけども

お別れは一瞬。SNSの繋がりは遠い距離を超えても、この手にも、この目にも触れることはない。

本音を曝け出しても、現実では何も無いのよね。

別れてからその人のことが好きだと思い知らされて、子供のまま成長していないな、自分は。

 

 

 

レンズもね、離れてからその良さに気付くことがあります。

恋人同士の「距離を置こう」は別れのステップの一つですが、レンズに関しては魅力を見つめ直す良い機会です、結果的に。

と実感したのはAF-S 58mmf1.4Gに対してです。割と最近の話。

このレンズは三次元的ハイファイレンズの第1本として発売され、「絞り開放からバッキバキに映る」昨今のトレンドから真逆の方向に行く

「絞り開放でフッワフワに映る」という描写。

ボケが素晴らしく美しい一方で、パープルフリンジが出やすかったりと絞り開放での描写のクセが、とか扱いこなせない人も多数居られるようなレンズ。

入手した当時は「生まれたての子供(赤ちゃん)をこのレンズで撮るんやー!」と気合入れていたものの、なんかピンとこずでした。

うん、ボケは綺麗だけどなんだろうなー、このソフトな感じ。

とかなんだかモヤモヤしていたことを思い出します。

3月に入手して、それから一月に1回使うかどうかでほぼ防湿庫の肥やしになっていた時、

ふと持ち出して撮った一枚の写真が物凄く「その日の気分に合った」写りをしていたんですよね。いつも通りの暗い雰囲気の写真ですけど。

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これは今年の春に撮ったハナニラ

 

その日思った通りの写りになることもあれば、思った以上の写りになることもあって、1本のレンズは色んな答えを見せてくれる道具だなぁと。

そんな「思いがけなさ」はどのレンズを使っていても感じることで、自分の経験不足や技術不足だから感じることかもしれないけど

一瞬、一刻、一日、ひと月、季節といった短くも長いスケールの時間が進むに伴って変わる光で、写真も変わってきて

変化という答えに気付こうと前のめりになっては、僕如きでは見つけられないものなのだなぁと。

 

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AF-S 58mmf1.4Gで掬い取った春の一幕。

 

思った以上の通りに写るレンズとの出会いや撮影があるから、写真とカメラは楽しい。